台湾ナイロンバッグの歴史
最終更新日2020-04-08
台湾旅行ではかわいい台湾雑貨をお土産に買っていきたいという方は多くいらっしゃるでしょう。そして台湾の雑貨と言えば、しましまのナイロンバッグが頭に浮かぶ方も多いと重います。そのナイロンバッグの歴史や人気の出たきっかけについてまとめました。
人気の台湾ナイロンバッグは、ガイドブックや日本人の観光客には、台湾漁師バッグとも呼ばれていますが、実は台南で作られた農村で農作物を入れるナイロンバックだそうです。
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歴史
1960~1980年代に台湾の農村で使われていた農作物を入れるナイロンバッグです。「傳統茄芷袋(ツァントンガジダイ)」と呼ばれ、台南で作られていたようです。台湾語で「ガジヤ」と言い日本語の「かぎ編み(kagiami)」が語源だそうです。それが「ガジ」になったということ。他には台客包、加薦仔、茭薦仔、復古袋、茄芷袋とも呼ばれているらしい。
このナイロンバッグは、日本統治時代からあり、当時の素材はイグサなどの植物の茎を使ったものでしたが、近年になりナイロンの糸で編むようになったそうです。
軽くて丈夫なので、台湾ではおばあさんが地元のローカルな市場で使っているのをよく見かけます。今でも重いものを入れても破れることが少ないので、野菜・果物、その他いろいろな荷物の運搬にも利用されている。またエアリー感が最高で、汚れてもすぐに水洗いできるし、乾くのもすぐ。釣り糸で編んでありますので、丈夫です。
人気が出たきっかけ
しばらく流通していなかったのですが、最近盛り返したらしい。そのきっかけは、民国94年に映画『無米樂』でナイロンバッグが紹介され、台南の菁寮里などが有名になり、観光客がしだいに訪れるようになりました。その後ワークショップにができ、「無米樂」の映画が放映された後、また伝統産業のナイロンバッグが脚光をあびるようになったそうです。
その映画に題名の無米楽は、古い台湾語で、「米がなくても楽しく暮らせる」と、不作のときの慰め、諦め、開き直りにも似た言葉らしい。農民の暮らしの大変さ、台湾という土地への愛について考えさせられるという意味でもとても良い映画です。
その歴史のあるナイロンバッグも最近は、おしゃれな若い人が持つようになり、デザインにもバリエーションが増えてきました。
台湾旅行を計画している方は、是非、しましまナイロンバッグを家族やご友人のお土産にしてはどうでしょうか。きっと喜んでもらえると思います。
投稿者プロフィール
- 大手アパレルメーカーで30年間勤務し、国内では営業・商品企画・事業企画・他社とのコラボレーションを推進する部門、そして約14年間で海外にて2カ国の法人社長を経験。その後、経営コンサルティング会社に転職し、アパレル以外のビジネスの知見を深め、現在は、コンサルティング会社を起業し、本業に加えファッション系の専門学校で教示している。アパレル業界を目指す全ての方々に実践的なノウハウを伝授したいと思っています。
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